SPECIAL 地域のために。ひとりのために。

STORY 01

早春、2人旅

「甲府までお願いします。観光がしたいの」
練馬で朝一番にお乗せしたお客様は、そうおっしゃいました。
ご高齢の女性です。びっくりしました。まさか甲府までなんて。
「桃の花が見たいんです」
お客様をお乗せして、私は走り出しました。
甲府に到着。
残念ながら桃の季節は終わっていたので、
スマホで調べて梅の花をご案内しました。
「お昼ご飯もぜひ一緒に」とのお誘いに甘えて、
おそば屋さんにも行きました。
練馬に帰ってきたのは4時頃。売上は9万円にもなりました。
「また来年もお願いね」
降りていったお客様の背中を見ながら、
私は故郷に暮らす母を思い出しました。
お客様は一人暮らしとのこと。
一日だけでも息子さんの代わりを務められたなら、
私も嬉しく思いました。

STORY 02

道の数だけ、物語がある。

東京の街が大好きだ。東京の道も大好きだ。
「青梅街道って、昔は路面電車が走ってたのよ」
秘密を明かすようないたずらっぽい口調で、
そんなことを教えてくれたお客様がいた。
いつの時代の話だろう。
とても想像できない、
この道の真ん中を電車が走っていたなんて。
いつもの当たり前の風景が違って見えてきて、
大好きだった道が、もっと好きになっていく。
こんなふうに東京の街を走っていると、
いろんな新しい物語に出会える。
次にまた走るのが楽しみになってくる。
そして気がついた。
一番好きなのは、
東京の街でお乗せする“人”だということに。

STORY 03

ハッピーに包まれながら。

お乗せしたのは、新米ママと新米パパ、
そして生まれたばかりの赤ちゃん。
病院から連絡を受けて、お迎えに行きました。
誇らしげに、そして少しこわごわと赤ちゃんを抱っこするママ。
そっと寄り添って、包み込むように座るパパ。
もちろん、わかっています。
何も言われなくても、いつにも増して安全第一。
ブレーキは丁寧に、コーナーもゆっくりと──。
赤ちゃんはすやすやと眠っていて、
車内はなんとも言えないハッピーな空気でいっぱいです。
2人で後にした我が家に、3人で帰り着きました。
「安全運転をありがとうございました」
そんな一言を残して降りていったお客様に、
私は心の中で伝えました。
“こんなおめでたい日に乗ってくださってありがとう!”

STORY 04

すべては信頼のために。

それはちょっとしたミスが原因だった。
だから気を付けていれば防げたミスだった。
防げなかったのは、どこかが緩んでいたからに違いない。
「頼りにしているんだから、しっかりしてね」
お客様のお叱りは当然のこと。失望させてしまったのだ。
でもそれは期待の裏返し。
それがわかるから、なおのこと、ミスが許されない。
確かに予約の時間に遅れたのは、10分だけだった。
そして病院の予約時間には、ちゃんと間に合うことができた。
それでもお客様をお待たせしてしまったことに変わりはない。
たった10分ではない。とても重い10分なのだ。
そんな想いの積み重ねが、信頼を生む。成長につながる。
ミスは繰り返さない。絶対に。
顔を上げ、決意を新たにする。

STORY 05

お客様がこわかった。

「新人だからわからないんです」
乗務員初日、初めてお乗せしたお客様に、
私はそう言ってしまいました。
道がまったくわからず、正直にそうお伝えしたのです。
きっとお叱りを受けるだろうと、身を固くして。
ところがそのお客様は笑い出して
「これがわからないなら、どこもわからないだろうね」
と道案内をしてくださったんです。
何のことはない、その道をただまっすぐ行けばいいだけでした。
優しいお客様でホッとしました。
ところが2番目のお客様も、
3番目のお客様も同じ反応だったのです。
お客様ってけっこうあったかいんだなあ。しみじみ思いました。
正直、お客様がこわかった。厳しい言葉を覚悟していた。
でもそんなことはなかったんです。
「ベテランだって最初は何もわからないんだよ」と言われ、
胸が熱くなりました。
大丈夫、きっと続けていける。
そのとき芽生えた自信が、今日まで続く私の原動力です。